一般的に、世界の紛争問題と環境問題はあまり関連性を持たないように思われていますが、環境問題の解決は紛争問題の解決への近道につながるとお話しされる蓮井先生。「20世紀は石油をめぐって紛争する時代だったが、21世紀は水をめぐって紛争する時代になる」と言われる中、日本の将来にどのような課題が残されているのか。軍の行動だけにとらわれない、これからの「安全保障論」の在り方について探ります。
人文社会科学部 教授/ICAS第3部門長 蓮井誠一郎
―先生のご専門は、「国際政治学・平和学」とのことですが、どのような経緯で現在の研究に従事されるまでに至ったのでしょうか。
もともと学部時代は法学部で国際法のゼミに入っていました。実は学部1年生の頃、一人でニューヨークに数週間旅行に出かける機会があり、そこで国際連合の見学ツアーに参加しました。当時は湾岸危機・湾岸戦争(1990)の直前でしたが、中東関係の外交官が、「このままでは中東諸国内で戦争が起きるのを免れられない」という話をしているのを聞き、まるで歴史の1ページを垣間見ているような刺激を受けました。それをきっかけに学部では国際法の研究室に入っていましたが、修士で政治学の研究室へ移り、“この先どうしたら世の中の戦争を防げるのか”というテーマを軸にして「国際政治学」に焦点を絞って学び始めました。
“20世紀は石油紛争の時代だったが、21世紀は水紛争の時代になる”と言われる中で現在の研究が目指すもの
―「気候安全保障論」という分野は聞き慣れない言葉だと感じますが、その内容や目的について教えてください。
「気候安全保障論」という言葉を聞いてすぐにピンと来る人は少ないと思います。要約すると、気候変動がもたらすリスクが、国家の安全保障のみならず、食料・水・エネルギーなど、あらゆる人間の安全保障に関わるということです。国家として問題を多数抱えている諸国では、住民が環境問題から受ける影響を直接的に受けやすい状況下に置かれている場合が多いと言えます。例えば、アフリカなどの途上国が抱える問題とは、気候変動によって食料不足になると飢饉が起こる、または水不足で大規模な住民移動を余儀なくされるなど、環境問題によって多くの住民が安心して暮らせる国家建設が妨げられ、それが結果的に多くの住民の不満へとつながるのです。
一般的に20世紀が“石油をめぐって紛争する時代”と呼ばれていたのに対して、21世紀は“水をめぐって紛争する時代“と呼ばれています。つまり20世紀産業では石油などの化石燃料がエネルギーの主流であり、それをめぐって各地で紛争が起きていましたが、21世紀では太陽光やバイオマスなどの自然エネルギーへと需要が移行してきました。一方で、気候変動により枯渇しかけている水資源への需要が急激に高まっており、それをめぐって紛争が起きやすい状況になっていると言われています。例えば中東では、複数の国にまたがって流れる国際河川が存在していますが、降雨で溜まった水資源を上流に位置する国で大量に確保してしまうため、下流に位置する国には十分な量が行き届かないという問題があり、下流で灌漑農業を営む多くの人々の生活悪影響を及ぼしています。実は、このことは中東における内戦勃発の要因の一つとして挙げられています。
他にも、チャド湖(アフリカ中央部)において、気候変動による水不足で塩分濃度が上がり、漁獲量が大幅に減少する、またアジア諸国においては、バイオマス燃料への需要の高まりから、木々が大量に伐採され、森が元来持つ保水力が低下することで、洪水が起きると低地への作物被害が大幅に広がりやすくなるなど様々な問題が指摘されています。
このような環境問題から受ける生活への悪影響によって、住民はやがて国に対して不満を抱くようになります。その国内の不満を反らせようと、国のトップは外交面で強硬な姿勢を貫こうとする傾向にあります。このように各国がお互いに強硬姿勢になると、国際関係は徐々に緊張状態に陥っていきます。それが徐々にエスカレートすると最終的には戦争が起こる可能性も出てくるのです。
本研究の最大の目的は、このような住民の生活面でのストレスを少しでも低減するために、人々の環境問題への認識を変えていくことにあります。しかし、「気候安全保障論」という言葉があまり馴染みないものであることからも明らかなように、“環境問題を解決することは世界の紛争解決につながる“という観点はあまり認識されていないように思います。日本の安全保障問題をどのようにしていけばいいのか問われている中で、まずは人々の環境問題に対する認識を変えていく、その上で、日本の安全保障をめぐる政策的な選択肢はあり得るのかを考え、もしあるとすれば具体的な政策提言に貢献したいと考えています。
環境問題の解決は、戦争のない平和な世界への糸口となる
―今後の研究課題を教えてください。
先述したように環境問題と政治問題は密接に結びついていることから、もともと政治面での混乱が大きい国に、さらに環境面でのストレスがかかると国家にとって脅威増強要因となることは確実です。ただし、日本を含む先進国のように、政治面で大きな混乱が見られないような国で、住民が環境からのストレスを受けても、国内の紛争につながるような大きな悪影響が出る可能性は今後も少ないでしょう。一方で、日中や日韓関係まで考慮して考えると、日本においても中長期的に環境問題から政治的不安定な状況に陥るリスクを抱えていることが分かっています。
まず短期的なリスクとして、物流分野への影響が挙げられます。気候変動による自然災害の発生で、洪水被害などが発生し、物の輸出入に係るサプライチェーンに遅れが生じ、そのことで社会・経済活動に悪影響が及ぶ可能性があります。
さらに中長期的な面では漁業分野へのリスクが挙げられます。つまり、温暖化で水面温度が変化することで、魚の分布に大きな影響が見られ、漁獲量が変化するため、漁業領域を以前とは変えざるを得ない状況となります。国の領土とは違い、海域での他国との境界線は非常に曖昧なため、お互いの排他的経済水域に国の漁業領域が及んでしまうことがあり、その結果、国の対外的な緊張状態が高まることになります。例えば北極海においては、今後温暖化で流氷が減り、漁業領域が広がると予測されています。これをめぐって、すでに各国が領有権争いを始めている状況です。このような海底資源をめぐる問題は今後の日本にとって非常に深刻なものです。少子高齢化問題を抱える日本の将来にとって、資源問題からの経済的影響はとても深刻です。
このように現状の日本では政治面での混乱が他国に比べて少ないとは言え、環境問題が原因で国内での政治的不安定につながるリスクは高いと言わざるを得ません。
今後の課題としては、日本の安全保障面で気候変動問題から受けるリスクにはどのようなリスクがあるのか、またアジア諸国や欧米の先進国はそれぞれ今後起こり得る自国のリスクをどのように考えていて、それが日本にどのように影響する可能性があるのかを具体的に見出していきたいと思います。それと同時に、人々が国の安全保障を語る上で、軍の行動だけにとらわれることなく、より幅広い視野を持ってもらえるように教育活動を広めていけたらと考えています。
ICASの今までとこれから
―これまでICASはどのような成果を残し、今後はどのような役割を果たしていくべきだとお考えでしょうか。
これまで世間では、環境問題に対して何かしらのアクションを起こした方がいいのではないかと言われる中で、ICASは「サステイナビリティ=持続可能な社会」という概念を明確化し、そのような社会構築をするための研究と教育を推進し続けてきました。スウェーデンの環境活動家グレタさんから始まった行動に代表される環境問題への世の中の風潮を見ても明らかなように、ICASがこれまでに蓄積してきた成果は間違っていなかったと確信しています。ただ一方で、「サステイナビリティ」という分かりづらい概念を人々に共有してもらう難しさも実感していました。その意味でも従来の「サステイナビリティ学」を人々にとって身近な新たな学問として、今後は学生や地域社会、あるいはアジア諸国の人々にとってより身近なところで発信していくことが必要だと感じています。
五感を使って自然環境と触れ合う機会をたくさん持ってほしい
今の学生さんは世界的な転換点に生きていると思います。その意味で今後社会に出ていく上で、これまでの日本社会で見られる価値観とは違った独自の価値観が求められます。そのため、従来の行動範囲を超えて新しい人々との出会いや経験を大切にしてほしいです。それと同時に、自然環境と触れ合うような機会が失われつつあることに危機感を抱いており、都市部に住んでいる学生ほど、五感を使って自然環境と思いっきり触れ合う機会を自ら作っていってもらえたらと思います。